宵宮祭は元火受けに始まります。日吉神社から宵宮曳きの曳山につるす30余の提燈の元火をいただく神事です。
現在は電球を使っていますが、昔は境内で炊かれたかがり火の火を各山組から宵山の提灯に移す火元として持ち帰り、宵山の親提灯にに点灯したというコトです。
一方、神社では湯立て神事が執行され、二百燈献上などの神事もおこなわれます。
そして、元火受けが済むと曳き初めとなり、町内を曳山が巡行していきます。本祭は中老が中心となりますが、この宵宮は、若衆がすべてを取りしきる若衆の祭りです。
本祭は朝、曳山は各町内の山倉を出発して総門(旧大溝陣屋正門)前に勢揃いし、笛、太鼓、鉦で囃立てて日吉神社の馬場へ定まった曳山順に移動します。
このとき、宵宮では「上山(階上)」に乗っていた囃子方は、「下山(階下)」の胴幕内に降り、「上山」中央には御幣が飾られます。
曳山が馬場に到着すると神輿が拝殿より担ぎ降され、御霊が神輿に移されて城下町への渡御がはじまります。
渡御のはじめは「渡番町」から選任された神輿総宰領指揮による勇壮な「馬場三回返し」の神輿振りからはじまります。
神幸の順序は「露払い」・「剣鉾」・「傘鉾」・「太鼓」・「神輿」の順で、曳山はその後に従います。
神輿は勝野町の御旅所に巡行し、神事の後各町内を巡行して本社へ還幸します。
曳山は神社で曳き分かれて各町内へ向かいます。この時、「下山」にあった囃子方は「上山」に登り、賑やかに囃し立てて各町内へ巡行します。
さて、曳山の巡行は、年ごとにその順番が定められており、先頭を「花山」といい、以下、二番山・三番山・四番山・五番山と称しています。
「花山」の 名称は、江戸時代の記録では安政5年(1858年)の祭礼のときに見えるのが最も早いもののようであり、幕末頃から一番山をこう呼んだものとみられます。
現行では「花山」の翌年は二番山となり、五番山が「花山」となるというように年ごとに順番をずらせていくことになっています。
この巡行方式は安政ごろの記録にもみえます。
また、五番山は「渡し番」と称して、神輿の世話番をつとめています。
「渡し番」という名称は、文化6年ころから記録にあらわれてきますが、それ以前は「御輿番」と称し、一方、それ以外の山組を「山番」と称していました。